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2009年10月17日午前7時30分、北九州空港。350円もするぺらぺらのサンドイッチをつまみに、私はさっそく生ビールを味わっていた。自宅と会社の往復である退屈な毎日、朝のビールくらいたまにはいいではないかと思うのだが、嫁のかずこは私に軽蔑の眼差しを浴びせるばかりだった。
結婚披露合宿――腹の底からじわじわと震えが来るような高揚感、そして何というバカな響きを持つ言葉だろう。思い返せば2年前、福岡のある島に約20人を集めて決行した私たち夫婦のアレが始まりだった。私は緊張のあまり、ケーキカットのときに渡された包丁を振り回し、かずこを人質に立てこもり「子供に会わせろ!」などと包囲する警官隊にわめいたのだった(ウソです)。
あれから2年、ネパールではっしー軍団が結成されてから6年半。軍団員は日本のどこであろうが呼ばれたら行く、という行動をバカの一つ覚えのように繰り返してきた。
今回の舞台は静岡県伊豆半島。このサイトの管理者であるちーくんの結婚披露である。期待と不安(いつ寝られるのだろうか)を胸に、機は羽田へと飛び立った。はっしー軍団はZ氏を筆頭に婚期が遅い傾向にあるが、軍団は変態紳士・変態淑女ばかりなので、一般人の中で趣味が合う人が少ないのが原因だろう。少子高齢化は深刻さを増してきている。早いとこ片付いてもらって合宿連発と願いたいものだ。

品川ではずんこの出迎えがあり、「おしゃれなカフェ」という店にたまりが待機していた。ずんこは相変わらずX0歳手前とは思えない精神年齢、スーパー銭湯みたいなところの椅子で一夜を明かしたというたまりも、そのせいか分からないがいつものようにだるそうな表情である。程なくしてずんこの友達のまっすぃー、福岡からつなとまさをが到着した。つなはまだ酔っており顔真っ赤、まさをは完全に調整をミスって真っ青である。当然まさをはまだ「来て」いない。
チャーターしたマイクロバスへ向かう途中、私たちに向かって走ってくる一人の姿。濃いマユ毛は紛れもなくちーくん本人だったが…。髪がある、整髪料つけとる! 彼は挨拶もそこそこに、北海道から来るめぐちゃんを迎えに駅へと駆け出していった。何かと説明が面倒だった様子である。ちーくんがめぐちゃんを連れてきたラブワゴンの前は、はっしー軍団と東京チームで分かれて談笑しながら、お互いを探り合い品定めする殺伐とした空気が充満していた。私はこのときから、ヒョウ柄のモサモサをかぶった女は要注意だとにらんでいた。

乗車するとビールが配られ、さて乾杯かと思いきや、出た!ちーくんがいきなり大技の「長い挨拶」を繰り出した。まだゴングは鳴っていないが、こちらも負けじと「上の空」や「私語」で応戦だ。座席にはお菓子が回り始め、「いも子とこぶ太郎」の取り合いになり、私は立て続けに缶ビールを3つくらい空けて、嫁より仲のいいめぐちゃんとイチャイチャしていた。
そろそろまさをにも「来て」もらわねば、そう思い始めたとき。まさかここで出るとは、必殺「バス止め」…! インドの長距離バスでは誰もが経験したことがあるだろう。限界に達した腹痛を下手な英語で迷惑顔の運転手に説明し、自分の手さえ見えない暗闇の中を草むらに駆け込み、翌朝パンツの中が枯れ草だらけなのを発見したことを。その「バス止め」を日本で、しかも合宿序盤で平然とやってのけるとは。まさをの回復が待たれる。小田原城見たさに大阪からの新幹線を途中下車してしまったかんちゃんを拾い、バスの旅はまだ続く。

アスレチックの公園は雨模様だった。記念撮影のためカメラを10個くらい渡された芋虫のお姉さんの、非常にめんどくさそうな表情が印象的である。私はかんちゃんと共にゴーカート乗り場へ。まちゃも少し遅れて続く。マシンはどんなコーナーでもフルスロットルで曲がれる超低速機。かんちゃんはさっさと行ってしまったため期待されたデッドヒートもなく、ベタ踏みで1周回ってくるだけだった。
巨大すべり台で私はスキージャンプの姿勢でK点越え、「船木ぃぃぃ」を狙ったが加速がつきすぎて途中で尻餅、雨に濡れたすべり台の水分を全て尻で吸収し、パンツまでぐっしょりとなった。こうなればヤケクソである。強まる雨の中、全てのアトラクションを乗りこなすのみ。落ちるフリをする、滑るフリをする、コケるフリをする。カメラが壊れたがもうどうでもいい。
入場料を取るまでもない内容だった気がするが、そんなことは言ってはいけないのである。思い出はプライスレスなのである。

椰子の木ゲストハウスに到着した一行は、メシの時間までぐずぐずとビールなどを口にしながら気だるく過ごした。夜のバーベキューを平らげる腹が残っているだろうかとの懸念をよそに、焼き場の私がありつく暇がないほど瞬く間に肉が消えた。私はずっと生のキャベツをかじっていた。全て焼き終わり席に着くと、かんちゃんが「まさを来たかな?」と私に小声で振ってくる。まさをの様子をちらりと伺うと、快調に生ビールを飲んでいる。来たっ…!
神懸かったタイミングでちーくんが自己紹介を全員に命じた。まさをは5番目、これなら勢いを失わずに行ける。完璧な流れだ。まさをが口を開いた。「えー、まさをです」
「まさをが何か言った!」「来た?」「まさを来た?」「まさをが?」「来た?」
まさをが来たよ!まさをが来たよ!まさをが来たよ!まさをが来たよ!まっさを!まっさを!まっさを!まっさを!
キョエエエエエ!!!
夜は始まったばかりである。

宴は広間へ移り、引き続き和やかなムードの中、新郎新婦のケーキカットなどが披露された。「少しはひねれ」と全員が失望したつなの下手な振りと、ちーくんかんちゃんの悪ノリで会場は一時騒然。この出来事は書くまいかとも思ったが、笑い話に時が変えるよ心配いらないと笑った。私は順調に焼酎をジョッキで飲み進めており、長い長い夜だったように思うのだが、かんちゃんが人差し指で顔の周りをぐるぐるとなぞって円を描いている光景ばかりが蘇る。
かんちゃんずんこつな私の4人で伊豆っ子ラーメン突撃隊が緊急結成され、人っ子一人いない真夜中の道路で奇跡的にタクシーを捕まえた。かんちゃんが運転手も一緒に食べるよう誘ったが丁重にお断りされた模様である。「ショウガや」「ショウガー」「あーショウガだー」「ショウガショウガ」醤油ラーメンにショウガの香りづけでなかなかの味である。かじおくんと深夜の温泉を満喫し、アルバムに切り貼りする文字の作成を頼まれて、ふらつく手とかすんだ目で一生懸命ハサミを動かしたのにじゅんこちゃんに軽くダメ出しされるなどして、午前4時ごろまで焼酎を飲んでいたように記憶する。

翌朝、寝ている私の側でかずこが書類を携え何やら怒鳴っている。寝起きの耳にその声は届かないが、全身の力を振り絞り私は腕を持ち上げ、震える指で書類のある一点を示した。昼食メニュー「海祭り」…! 寝起きで意識不明であろうとも選択を間違わない、それが俺のジャスティス。一部男子は朝から涙目でビールを口にしていたため、私も協力することにした。ビール水水水ビール水ビール水水水でようやく目が覚めた。昨日の雨は上がり、すっきり晴れたいい朝だ。
昼食の席では食事が揃うまでの間、乾杯の練習だ。皆さんもこれからは、本番のために日頃から練習を積んでおくことをお勧めする。いわゆる「全部乗せ」の海祭りが私の前に配膳されると、ストロボが一斉に焚かれた。高相法子が拘置所から出てきたとき以来の激しい光だった。しかし海祭りは、ごはんの上に刺身数種を盛っただけのぞんざいな作り。ごはん食べない派の私は、上の刺身だけを次々とビールで流し込んだのだった。
帰りのバスはしんみりしめやかお通夜ムード。来るべき別れに向け、架空の手紙にさよならと書いているのか、ただ眠いだけなのかは私には判断がつきかねた。まずかんちゃんとまちゃが去り、そして品川でそれぞれの方向へと歩いていく。一見にぎやかな、しかし惜別の念であふれた見送りの光景が繰り返された。見送る側は姿が見えなくなるまで、ちぎれんばかりに手を振る。見送られる側は、薄情ともしつこいとも思われないためには何度振り返るのが適当だろうか、そう思案しながらホームへの階段を下るのであった。

(完)

【お断り】私の主観と記憶に基づき、面白おかしかった出来事を面白おかしく脚色して構成しています。もし「あれ?俺のこと書かれてないよ?」という方がいらっしゃいましたら、次回は私の記憶があるうちにがんばって面白いことをして下さい。

けんたろー


Photo by ちー

 12月上旬まで異常に暑かった北九州だったが、1月に入ると普通に寒くなった。北海道と九州の気候を知った今、気温も当然なのだが、大きな違いは冬の長さにあるように思う。

 そんな1月下旬、北九州市八幡西区。自称「北九州の副都心」JR黒崎駅に、彼らはやってきた。坊主頭をニット帽で隠し、荷物はバッグひとつだけの男、このサイトのウェブマスター横井千人(北海道)。ちょっとそこまで買い物といった風情。隣には、栄養失調気味の体にいろいろな布切れを巻き付け、背中には私の身長を超える高さのバックパックを担いだ座敷女、めぐちゃん(北海道)。パスポートは持ったかい。私たちは筑豊電鉄に乗車し、足元から際限なく湧き上がる暖房の熱風に苦情を言いながら、我が家に向かった。車掌が聞きつけて「暑いですか?」と心配していた。

 筑豊電鉄は、端から端まで乗っても40分というちびっこ電車だが、車両が小さいため常に満員に近い。私の家はその沿線の福岡県中間市にある。中間市は自称北九州市のベッドタウンで、いわゆる「平成の大合併」に乗じて北九州市との合併を画策したが、既得権を失うのを嫌った議員たちにより、合併議案が否決された住民思いの自治体である。飛行機の関係で夜遅くなってしまったが、日本の北の端からやってきた2人のために、軽い食事と大量の酒で、ささやかな歓迎会を開いた。結論に向かって整然と会話を進めていく男2人、頭に浮かんだ単語やフレーズを思いつくままに並べ合っているようにしか見えない女2人。明日は福岡市に向かうため、10時半のバスに乗らねばならないのだが、宴会はそんな感じで午前3時まで続いた。

 翌朝。肉体は動いているが頭は寝ている状態で、出発の準備が始まる。各自バスの時間を逆算して、無言で荷物をきっちりとまとめたのは、旅行者に染み付いた習性を観察するには格好の材料であっただろう。無事バスを捕まえ、あとは博多駅まで1時間ほど座っているだけである。ちーくんが買ったばかりのデジタル一眼を出し、しばらくみんなで遊んでいたが、すぐに全員寝てしまった。移動中に睡眠を取ろうとする習性もまた、旅行者の特徴である。JR博多駅に到着、すぐにかんちゃんに連絡を取り、近くの喫茶店で合流。かんちゃん(大阪府)、香織ちゃん(徳島県)、ずんこ(東京都)と久しぶりの再会。遅れてかとぅさん(栃木県)、まさを(北九州市)も到着。喫茶店ではまず胃薬の無料配付が行われ、全員トイレで大きい方を済ませてから出発。

 福岡市民のメンバーは宴の準備のため後ほど合流することになっており、私が案内役を務めることになった。大半が二日酔いの集団を引き連れ、昼からラーメンである。地理に詳しくないながらも、太陽の位置で方角を確かめ、たどりついたのは「秀ちゃん」。かんちゃんがビールを頼んだので私も飲んだ。ジョッキに口をつけるかんちゃんの目はうるんでいた。私の目もうるんでいたのかも知れない。何か間違えたようだ。以前はかなりうまく感じた「秀ちゃん」だったが、ずんこは前日食べてきた「だるま」の方がうまかったと言った。かんちゃんはスープがぬるいと言った。うん。そんな気もする。多分残留アルコールが邪魔したのだろう。

 ラーメン後、とりあえずバスで博多駅へ戻る。そこでかんちゃんから和尚の寺に行こうと提案があった。思い付くとすぐ電話するのが寒川という男である。果たして和尚はすぐ電話を取り、今から来てもいいという返事。バスを飛び降り、おばあちゃんに道を尋ねるその様子を写真に撮りながら、和尚の出迎えを待ち切れず、ついに承天寺の奇襲に成功した。寺の門で勝手に記念撮影などしていると、奥からお坊さんが一人出てきた。彼こそがブルース和尚、圓俊(福岡市)であった。ヒンドゥー教の聖地バラナシで頭髪をモヒカンにし、ビールを飲みながらギターを弾いていた面影はない。
  寺は運動会ができるほどの広さだったが、きれいに掃除が行き届いていた。合宿には最適な物件に思えたが、午後4時以降は女人禁制という封建的な寺で、しかも殺生もダメということで、酒のつまみは枝豆と冷奴だけになりそうで断念した。和尚の居室でお茶をいただき、タニシの大繁殖したメダカの水槽で遊んでいると午後4時。「お前ら!はよ帰れ!」と優しい見送りを受けて、私たちは和尚に別れを告げた。女人禁制の掟は厳しいのである。

 今日の宿は福岡市東区志賀島にある静遊館。車、バス、電車でも行けるのだが、かつて旅行者だった人の集まりということで、浪漫あふれる船を移動手段に選んだ。志賀島行きの高速フェリーは空いており、みんなふかふかのソファになっている座席に寝そべり始めた。遠ざかっていく福岡ドーム(現:福岡Yahoo! JAPANドーム)などには目もくれない。しまった。移動中は寝るという旅人の習性が頭に入ってなかったようだ。
  持ち込みOK食事付き5000円はどんなボロ旅館かと身構えていたが、至って普通の民宿だった。とりあえず風呂でも入る。湯船には常温の水が張ってあり、長旅の疲れも一気に癒されていくようだった。ちーくん、かんちゃん、かとぅさんの3人はせっかくの風呂には入らず、熱いシャワーだけ浴びて出ていった。私とまさをは熱湯を加えながら30分以上粘り、芯まで温まることができた。夕食直前につな(福岡市)、はっしー(福岡市)、おかん(福岡市)、あき(京都府)が車で到着、夜の宴会の兵糧を搬入。
  広間で夕食という名の前哨戦が始まった。さすがに志賀島は海の幸が豊富で、意外なほどぜいたくな料理だった。初めは瓶ビールを「まぁまぁまぁ」「あぁどうもどうも」「おっとっとっと」式でやっていたのだが、顔見せもあらかた済むと焼酎が持ち込まれ、だんだん無礼講色が強まってきた。

 広間を後にし、部屋で仕切り直すことにしたが、まさをがまだなじめていない。人に優しい旅の仲間は、もっと輪に加わるようにいろいろ話題を振る。まさをも酒が回ってきたのか雰囲気に慣れてきたのか、ぽつぽつと愉快なトークが出始めた。まさをが乗ってきたのがうれしいちーくんは「まさをが来たよ!」と両手の拳を交互に振り上げて喜びを表現した。前回徳島合宿で生まれた伝説「カンチョー!」に続く、福岡合宿伝説「まさをが来たよ!」の誕生である。これより先はまさをの独壇場となり、まさをのための「まさをが来たよ!」の大合唱が夜明けまで続くことになる。まさをが飲めば「まさをが飲んだ!」まさをが寝れば「まさをが寝たよ!」まさをが起きれば「まさをが起きた!」。何か行動を起こせば合唱になり、会話に「まさを」という単語があれば合唱になり、皆はその度ごとにまさをの一言絶叫に期待した。かつてない歓迎ぶりを誰もがうらやみ、輪の中心のまさをに憧れただろう。

 また徳島に引き続き、恒例のプロレスごっこでの交流も自然発生的に行なわれた。負傷する者が若干いたようだが、初対面同士もいた中でその壁を崩すには、己の肉体のみを武器に闘うことが最も効果的であった。

 ここで特別ゲストまちゃ(東京都)が到着。隠し玉として用意していたのだが、事情を知らないあきが夕食の席で話してしまい、その登場は当初の狙いほど衝撃的ではなかったものの、電車で博多駅まで来てそこからタクシーで志賀島という、今合宿に対する意気込みは誰にも引けを取っていない。

 準備していたマジックが解き放たれるに及び、静遊館の静寂はもはや回復不能となった。顔や手足などに落書きされるのは当然、衣服の下のあんなところやこんなところにまで書かれ、人権を侵害される者が続出した。それでも皆顔を洗い、幾度となくマジックの海に身を投じた。私の足の裏には「つな」と書かれていたが、私はつなではない。他にもクイズ大会やお絵描き対決などが局地的に行なわれたが、脱落者の数も増え、午前5時、様々な思惑にまみれた福岡合宿1日目が終了する。

  • 酒による記憶の混濁のため、事実と違う部分、時系列の乱れなどが無数にあります。指摘される前にとりあえずお詫びしておきます。

 翌朝。午前9時。大合唱に明け暮れていた客が、一人を除き朝食の席に揃うとは静遊館サイドも予想できなかっただろう。私は朝ごはん食べない派である。打ち合わせもなしに、朝ごはんに向けて一斉に行動する姿は感動的ですらあったそうだが、静かに眠りたい私にとっては迷惑以外の何物でもない。

 志賀島は国宝の金印が出土した場所として知られ、金印公園が整備されている。一夜明けてもまだ酒気帯びの体にムチ打ち、徒歩で向かう。金印は福岡市博物館に収蔵されており、金印公園にはベンチしかなかった。座り込む者、ベンチで寝る者、写真を撮る者、ただタバコを吸う者、斜面を登り始める者。素晴らしい歴史体験ができた。

 志賀島発の西鉄バスをバスジャックし、筥崎宮へ向かえと指示したが、ヘンなところで降ろされた。福岡市民であるはっしーが案内を買って出るが、よく分からない。かとぅさんは女子中学生に道を聞くフリをしていやらしい言葉をかけるなど、相変わらずの男前である。何とか西鉄電車を捕まえたが、車内では誰もが「まさをが来たよ!」を決行する機会を覗い、不穏な空気が流れる。このとき初めて私の腹に顔が描かれているのに気付き、皆が喜ぶので不本意ながら私は自分の腹に描かれた顔を、車内で何度も見せなければならなかった。

 筥崎宮で私は今年2回目の初詣でを済ませた。今年1回目の初詣でまで5年連続で「末吉」を引いていただけに、何とか大きいのを決めたかったのだが、ここでも末吉。余談だが、後日つなとおかんとかずで大宰府天満宮に行ったときも末吉、近所の埴生神社に散歩に行ったときも末吉。通知表で言えばオール2である。

 近くのラーメン屋で昼食の予定だったが、目当てのラーメン屋はまわる寿司屋に乗っ取られていた。仕方なしにキャナルシティのラーメンスタジアムに向かうが、帰りの便が近い香織ちゃんが待つには余りにも混雑していた。1階の「一蘭」に駆け込み、九州最後のラーメンを慌しく平らげると、香織ちゃんは徳島へと帰国していったのだった。そしてはっしーも仕事のため帰宅、私、まさを、かずの北九州組、ちーくん、めぐちゃんのけんたろー邸宿泊予定者もお別れである。キャナルシティの薄暗い駐車場で、レンズの破壊されたあきのカメラに合掌しつつ、我々は皆に別れを告げた。

 行き先は私の実家である。私の母とちーくんはメル友である。何気なく秘密の関係なのである。九州上陸が実現し、二人のメル友はついに巡り会ったのである。遠慮しないのがいいところの私の友人たちは、初めての私の実家で、勧められるままに一人当たりビールを2本ほど空けた。

 実家を後にした私たちはようやく中間市へ戻り、近所のうまい居酒屋で再び乾杯した。翌日は私が仕事に行っている間に、ちーくんもめぐちゃんも帰ってしまうのである。楽しかった合宿も終わりなのである。

 翌日、私はいつも通り職場に向かい、イヤンイヤンと心の中で呪いの言葉を吐きながら仕事した。終業時刻になり、メールを見た。『めぐちゃんまだいるよ』。そんなバカな!

おわり

  • 記憶の脱落や話の流れ上、または基本的に一人称の語りなどの理由により、省略されている出来事がたくさんありますが、ご了承ください。「もっとおれのことを書け!」という方がいらっしゃいましたら、自分で書いて下さい。

kentaro nobunaga legacy1390@hotmail.com



たぬき


かとうさんがかえります。


かおりちゃんのお父さんお母さんありがとうとございました。


うどんや前 


居酒屋にて

Photo by Kan

10月31日(金)
 バイトを終え家に帰ると両親は道後温泉に旅立った後で不在。ばあちゃんは心臓が弱く一緒に行けないので、具合が悪くなったわけでもないのに近所の病院に入院させられていた。我が家の主、パグ犬3頭(人間よりえらい)にディナーを召し上がっていただき家を出る。
 19時10分のオーシャン東九フェリー(北九州→徳島→東京)は3連休前だというのにガラガラ。私は8人部屋に1人。家から持ってきた毎日新聞を、ひとり寂しくビールを飲みながら隅から隅まで読む。風呂も貸し切り状態で、悪くないとも言えるのだが。そう言えば香織ちゃんの電話番号が分からんなー、などと思いながら寝る。

11月1日(土)
 朝。到着の1時間ほど前に香織ちゃんから電話が入る。かんちゃんから番号を聞いたらしい。誰も迎えに来てくれんやったらどうしようという不安はひとまず解消。フェリーを降りてしばらく待つと、かんちゃんと加藤さんが来てくれた。約半年振りの再会だが、かんちゃんは花柄のシャツに黒の上下、でかいサングラスにヘビ皮のブーツ。ヤクザの集金が来たのかと思った。加藤さんは皮ジャンにジーンズと、いたって普通の格好だが、暑いインドで別れてから半年以上経ち、懐かしさとともに違和感も湧き上がってくるのだった。
 しばらく近況などを話していると、香織ちゃん、ずんこ、つなも間もなく到着。ずんこは勢いよく真っ先に我々のいるフェリーターミナルに入ってきたが、すぐに私とは分からなかったようで、一瞬「あれっ」というような表情を浮かべた。そっか俺もインドの頃と雰囲気違うんやね、とそのとき思った。
 香織号のブルーバード、寒川号のミラに分乗し、そのまま鳴門の渦潮を見物に出掛ける。淡路島と徳島県鳴門市を結ぶ大鳴門橋の真下に設けられた有料遊歩道「渦の道」へ。ちょうど満潮時で渦の観測には絶好の時間帯だったらしいが、50センチ前後の渦のようなものが見えたかも知れない。加藤さんはいきなり「うずしおビール」を賞味。鳴門海峡を後にし、「うずしお商事」「うずしお眼科」など撮影しながら次の
目的地、徳島ラーメン「いのたに」へ向かう。
 豚骨文化圏の私の目には異様に映る黒いスープ。豚骨醤油とは聞いていたが、醤油で煮た肉が入った「いのたに」のラーメンにほとんど豚骨の味は感じられない。麺だけ食べているとうまいのだが、後味あっさりでスープを飲むと物足りないような印象。
 巨大な狸の像がある小松島市の通称「タヌキ公園」へ。手を叩くとセンサーが反応して狸の像の後ろに滝が流れる。小松島市の税金の使い方が理解できない。ここは廃線になった鉄道駅跡を公園にしたもので、蒸気機関車で子供たちが遊んでいる。私たちも混じって機関車に登ったりして遊ぶ。
 今晩の鍋の買い物などしてようやく新田邸へお邪魔する。新田邸は農家で、豪邸で、信じられない山奥である。水道水を沸かして温泉と称していた、近くの「もみじの湯」で旅の疲れを流す。ニセ温泉で新聞沙汰になったせいか、無料で入浴でき本物の温泉水を引くなど、反省の色が見えた。入浴後、我慢できない男性陣は生ビールを一気に飲み干す。
 新田邸に戻り鍋の準備。男性陣は使えないやつらばかり。邪魔になるのでビールを与えられ大人しくしていた。宴の途中でようやく岡山から単車で池ちゃんが到着。私の記憶はこの辺りから途切れ途切れになってゆく。ヒッチで来ると豪語していたみっちーはいつまで経っても到着の気配がない。新田邸の山奥ぶりを甘く見ていたようだ。結局新田邸から1時間ほどかかる駅まで迎えに行くことに。全員飲んでいるので新田母が運転していった。完走できなかった敗北感と母の出馬に、みっちーはかなり打ちのめされていた。この頃にはもはや全員の記憶が定かではなかった。かんちゃんとつなは泥酔状態のまま「トランプを買ってくる」と言って車でどこかに行ってしまったが、それを止めるどころか気付いていない人もいたようである。

11月2日(日)
 早起きで讃岐うどんを食べに行く。香川県でなければ讃岐ではないので、高速を使って2時間。途中大雨に見舞われるなど、寒川号のミラは激しくきしむ。NHKでも紹介された有名店「谷川米穀店」(うどん屋)の周辺は路上駐車の列。そして100メートルに達するかという行列。うどんの支払いを賭けて古今東西ゲームなどして暇をつぶす。うどんにありつけたのは並んで1時間半後であった。200円の「うどん大」に30円の卵。計230円に高速まで使って3時間半かけるとは何という贅沢であろうか。谷川米穀店のうどんにはつゆがない。ネギと卵と醤油をかけるだけである。卵かけごはんに似ている。しかしさすが名立たる讃岐うどん、麺がつるつるでコシがある。30秒ほどで完食。後ろにも客が大勢並んでいて、ゆっくり食べる雰囲気ではないし、ゆっくり食べる食べ物でもない。
 加藤さんは「大阪の女性」に会いに行くというのでお別れ。長距離バスの発着する「徳島とくとくターミナル」にて全員で見送り。「俺が止めてやるよ!」など忘れられない一言の数々…あんた男だったよ。ターミナルで名物のワカメ、すだち酒など買い求める。
 「ナチュラ」というおいしいジェラートの店に寄り道。もう1個食べればよかった。そして今回のメインとも言うべき「アスティ」へ。ここに来れば徳島県の全てが分かるという、巨大な総合観光案内施設である。難解な人形浄瑠璃のライブ、壁面全体がモニターになった迫力の映像での観光案内、そして阿波踊り体験コーナー。コンパニオンのお姉さんが阿波踊りの踊り方を教えてくれるのだが、意外にも足腰に負担のかかるハードな踊りで、汗だくになりながら習得したつもりのそれは、お姉さんと比べるといかにも無様なものであった。阿波踊りのマスターは今回参加した非徳島県民の義務であり、最後は壇上に上がり全員で踊りを披露した。お姉さんもコンパニオン冥利に尽きるといったところか。
 今日の夕食は「活魚水産」。昨日の酒酔い運転を反省して、かんちゃんはアルコール抜き。うまい海産物を目の前にして地獄の苦しみを味わったことだろう。店にサービスを要求したところ、あり得ない量の料理がやってきた。まるでTVチャンピオンである。うまい魚とうまいビールで腹一杯にして新田邸へ帰宅。仁義なき宴会の幕開けである。
 ひとしきり大富豪、ババ抜きなどを楽しむ。香織ちゃんが壊れ始めたのも大富豪あたりだったようだ。この時点で私の記憶はまたもあやふやである。さあ寝ようかと布団を敷いたのが悲劇の始まりだったように思う。誰かが押し倒され布団の下敷きになる。その上からかんちゃんのレッグドロップ、つなのフライングボディアタック、けんたろーのムーンサルトプレスなどが次々に火を噴く。みっちーのダメージが大きく、しばらくうめき声が響く。酒の飲めないみっちーはなぜかジョニーウォーカーをストレートで一気に飲む。
 ひと段落ついて私がトイレから戻ってきたときだった。「カンチョー!」。香織ちゃんの声だった。彼女の固く伸ばした両指は、私の肛門を深くえぐっていた。脳天まで突き抜けた衝撃と、信じられない現実とで茫然としていた私を見て、そこら中で戦いが始まった。女性さえ遠慮なく弾丸を撃ち込まれた。傍観しているように見えた池ちゃんは、最も油断のならない狙撃者だった。抵抗する者は全員で押さえつけられ、恥ずかしい写真を撮られた。戦いは午前3時まで続いた。

11月3日(祝)
 翌朝、私は熱っぽい体をいつまでも布団の中に横たえていた。昨夜の大騒ぎで脳がオーバーヒートしたようだ。もしくは肛門から菌が入ったのかも知れない。池ちゃんが単車で帰るのを、新田家の面々も含めて記念撮影し、全員で見送る。辺りは小雨で白く煙っている。
 徳島ラーメン「古屋」へ。またしても黒い醤油豚骨である。しかし「いのたに」のそれと比べれば違いは明らか。スープはこってりと味わい深い。今回2軒の徳島ラーメンをいただいたが、基本的に醤油辛く、豚骨に慣れ親しんでいる私には「ラーメン?」と印象は否めないのだが、生卵や煮込んだ肉などを入れまろやかさを出す手法など、豚骨とは全く別物の「麺+スープ」の食べ物という見方をすれば、おいしく優れた食べ物である。「古屋」はまた行ってみたい店のひとつである。
 おいしく楽しくよく飲んだ2泊3日の徳島合宿もそろそろ終わりである。加藤さんが去り、池ちゃんが去り、次は私の番である。インドと同じ赤いバックパックを背負い、徳島港のフェリーターミナルへ。窓口の予約名簿を見ると、予約客は5人であった。大丈夫かオーシャン東九フェリー。待合室では男性陣が「ビーバップハイスクール」などを読み始めたのに対し、香織ちゃんとずんことの間には名残を惜しむ面映い雰囲気が流れる。乗船時間になり、涙ぐみそうな隣のカップルとともに別れの時。ずんこのウソ泣きが胸に痛い。船上の人となった私は、岸壁に立つかんちゃん、香織ちゃん、ずんこ、みっちー、つなの5人にいつまでも手を振り続けたのであった。
 船が傾いてこぼれまくる風呂の水と戦い、風邪の体をだますようにビールを飲み、明日からはまた労働の日々なのである。

※ウロ覚えのため、店名など固有名詞に間違いがある場合があります。ご容赦ください。

kentaro nobunaga legacy1390@hotmail.com



温泉にて


出発前はまだ元気な彼らも…


山に着いたらこの始末

Photo by Kan

《予備知識》
仙丈ヶ岳(南アルプス、3033メートル)・・・特徴としては、南アルプスの中でも、高山植物の豊富さではトップクラスにあるとも言われ、クロユリ、ハクサンチドリ、シナノキンバイなど約60種をかぞえるといわれる。また、四方に大きな尾根を派出し、全体になだらかな形でボリュームがある。まったく威張ったような顔はどこにも見せない。女性にも登りやすい山である。

《日記》
登場人物
◎悪役が似合うかんちゃん
◎まさあきに似たクールなまちゃ
◎くまやまリーダーのずんこさん
◎問題児の香織
◎長靴姿がよく似合うはっしー
◎はっしーと一緒に山小屋で働いている、かおりちゃん

8月18日。いざ、くまやまのある長野県へ。

かんちゃん、かおりは、大阪から、バスにのって、長野県へ。日本のバスは、ビップバスで、文句のつけようがありません。トイレまでついている。(当たり前か・・・。)

まちゃ、ずんこさんは、まちゃの湘南ナンバーのVIPカーで長野県へ。

長野県の伊那市という駅で、待ち合わせをし、そこから、予約していた宿まで、まちゃの車でいこうと、4人乗ったのはいいけど、いきなり車が動かないという、アクシデント。あれれっ!!??旅にトラブルはつきものというものの、日本でも、こんな目にあうとは・・・。結局、バッテリーがあがってしまっていて、バッテリーを交換することに。その後、無事に、一日目の宿、仙流荘に到着。

宿につくと、玄関には、原田御一行様とかかれた看板が。なんだか、気分がよくなり、いざチェックイン。早速、お風呂にはいり、ほっこりしたあとで、夕食。

ビールは明日の山登りがあるから、少しだけっと、飲み始めたものの、アル中!?のかんちゃん筆頭に、それから、寝るまで、飲み続けるはめに。酔った勢いで、ゲームがはじまり、バツゲームとして、顔に落書きをすることになった。みんなすごい顔をしながら、もう一回温泉に入ろうと、落書きだらけの顔で、温泉へ。あの時は、他のお客さんの視線がかなり冷たかったような気がした。温泉にはいり、きれいになったあとは、明日のためにと、布団に入り、就寝。

翌朝(8月19日)、5時に起床。眠たい目をこすりながら、六時半には、宿をでて、バスで、約1時間かけて、北沢峠まで。そこから、登山開始。まわりの人たちを見回すと、完全防備。それに比べて、私たちは、普段着。これで、大丈夫なのかなと思いながらも、いざ、出発。
登山をしている人たちは、私たちよりも、断然、お年をめした方が、多かったけど、見るからに、私たちより、元気に山を登っていた。ネパールでのサランコットで、かなり登るのはきついっていう、恐怖がしみついており、何度か休憩をいれながら、3時間ぐらい登り、もうすぐで、はっしーがいる山小屋(馬の背ヒュッテ)につくかなってところで、はっしーが、登場。はっしーは、わざわざ、私たちのことを心配して、途中まで迎えにきてくれた。が、その格好といえば、すっかり山が似合う格好になっていた。かなり似合ってるよ、その長靴姿と、いいたくなるくらいに(●^o^●)でも、久しぶりの再会に、みんな疲れていることも忘れて、テンションあがりまくり。
そこからは、はっしーが先頭をきってくれて、なんとか、はっしーが生活をしている山小屋まで。そこで、一度、早めの昼食をとったあと、一気に、頂上まで、登ることに。そこからは、はっしーと一緒に山小屋で働いている、かおりちゃんという子も、一緒に頂上までいくことになった。あいにく、天気があまりよくなくて、周りの景色は全然みえなかったけど、そこからは、順調に頂上まで、登ることができた。途中、こりゃ、落ちたら、命はないぞっという所が、たくさんあったけど、無事、頂上へ。そこで、記念撮影をして、またすぐに、下山。というのも、この日、一日で、上り下りをしなければいけなかったから。はっしーも、途中まで、一緒に下山してくれたけど、途中からは、山小屋へ戻ることに。そこで、せっかくひさしぶりに再会した、はっしーと、今日会ったばかりのかおりちゃんとのお別れ。なんだか、このときは、旅をしていたころの別れるときのせつない気持ちが蘇ってきた。
またの再会を願って、お別れをし、私たち4人は、峠まで、無事下山した。下山しているときには、分からなかった、体中の痛みが、下山した途端に、体中を襲った。でも、このときの、達成感は、サランコットを登りきったときぐらい、ぐっと心にきた。

それから、本日の宿、大芝荘へと移動。この日は、かなり疲れていたというのもあって、長野の名物、ローメン(マトンのお肉をつかった焼きそば風のもの)と、ソースカツ丼をを食べて、少しお酒を飲み、就寝。

翌日(8月20日)、旅、最終日。ゆっくりと、温泉につかり、手打ちの信州そばを食べ、解散。

楽しい時間は本当に、あっという間に過ぎてしまうもので、みんな、それから、現実の生活へ。生きていると、つらいこともたくさんあり、悩む毎日ですが、こういう風に、ひさしぶりに、友達と再会をし、ともに時間を過ごすと、不思議と次の日から、パワー全開で、頑張れるものですね。また、はっしー軍団で再会できるのを楽しみにしています。それでは、次は、『はっしー軍団、温泉へ行くの巻き』で・・・。

Script by Kaori


ホームのタイトルが変わっているのに気づいただろうか?
いまは、エジプトのシナイ半島にある紅海沿いの村ダハブ(Dahab)にいる。なぜここにいるか?なぜここにもどってきたのか?そんなことをここでは書きたい。

僕がこの場所ダハブに来たのはヨルダンを抜け、フェリーでエジプトに入ったときの8/27。最初に入ったこの場所は目の前に美しい紅海が広がる海沿いのビーチリゾート。多くの人がダイビングやシュノーケリングで海に入っていく場所。僕自身もここでアドバンスオープンウォーターを取得し、しっかり紅海を楽しみ後ろ髪を引かれながらもおよそ10日の滞在の後予定通り、首都カイロへ向けて出発した。

カイロについたとき自分が非常に旅に疲れていることに気づいた。それはピラミッドを見たときだった、ピラミッドといえば遺跡としてはもっとも有名なもの、なんどもテレビや本で見聞きしている。そしてここカイロまで来た理由はもちろんピラミッドを見ることなのだ。本当にピラミッドが目の前に現れたとき、自分でもびっくりする事態が起きた。まったく感動しないのである。この気持ちを感じたときの自分の驚きときたらない。ピラミッドは変わるわけがないから、僕が変わったのである。

よく言う話だが長いたびをすると新しいもの、めずらしいもの、見たこともない遺跡、はじめてみる町の風景に出会うという非日常の繰り返しが、日常になってくる。そしてある日いつのまにかたびをして何かを見つける努力をしなくなる。どんな有名な見所がある場所であっても、宿に入って宿から出なくなる。宿から出るのは食事の時ぐらい、後は宿で旅人と話したり、いつも寝ていたりそんな生活になったりする。これを沈没と呼ぶ場合もあるが、この場合は気持ちの擦り切れだと僕は思う。たびのマンネリやたびへの情熱が薄くなったりする。結果たびが終わってみると最初に行った国が一番面白かったということになったりする。

こんな気持ちでいままでよりきついだろうアフリカを南下するのは、気持ちもつらいだろうし、なにより危険なことにあう可能性がある。ここでたびのかたちを見直す必要があるのかもしれない。そう思って出した結論が、ダハブでダイブマスターを取るということだった。
ダイブマスターを取るのにかかる時間はおよそ2ヶ月、難しいものではあるが、多くは経験と知識をつけるのが重要。このたびでダイビングというものに本格的に挑戦するようになったわけだが、非常に僕の興味をひいたスポーツである。ダイブマスターを取ることにより、海のガイドをすることができるようになり、潜りにくるお客さんの立場からガイドの立場に変わっていく。いわゆるプロになるわけだ。きっとそのころには潜ることにも余裕がでてきて、もっとダイビングを楽しめるようになるはずである。なによりこのコースを終了するまでに、何本でもこの美しい紅海でダイビングができる、これが何よりすばらしいこと。

もう1つ、いままではこちらが移動してるたびだった、ここに2ヶ月滞在するということは今度は待つたび。いろんな人がここにやってきて、それを見送る。いろんな場所に、長くいる旅人はいるものだがその生活がどんなものかちょっと興味があった。そんな定住型のたびを少し味わうことができる。

こんな気持ちから、これから約2ヶ月ここダハブに滞在します。もちろん日記は引き続き更新してきますし、滞在型になり日記の更新頻度も上がるはず、メールにもより早く返事ができるでしょう。
そして、もし近くにくるようなことがあったり、旅行の計画があったら、ぜひダハブまで足を伸ばしてください。手紙も大丈夫。

Deep Blue Camp
P.O. Box 34, Dahab, South Sinai, Egypt
Tel/Fax:0020-69-640416
Mobile:0020-123352644
Deep BlueはHotelとCampの2種類がある。Camp(海沿い)の2号室に投宿中!

これが僕の新しいたびのカタチ


いままでに、旅行者から聞いていい場所だといっていった場所がいくつかある。

中国 麗江
ラオス バンビエン
タイ パイ
それと今回はこれからだが、インド バラナシ

これらの場所を見てみると、旅人が好む場所がどんなところかがわかってくる。

これらの場所に共通していることは、一方が山か何かでほかの世界とは切り離されていること。
麗江は玉龍雪山、バンビエンもパイも山がある、バラナシは不浄の土地がある。
また、川が流れていること、麗江は黒龍潭から流れる川、バンビエンはナムソン川、パイはパイ川、バラナシは言わずと知れたガンジス川。

なぜ、こんな街が旅人を落ち着かせ、離さないのか?
僕らはいつもどこかへ向かっている。だから全ての方向にいける完全に開いた土地ではどこかに行かなければいけないとあせってしまう。一方に山やいけない場所があると、そこで自分を止めてくれるだから安心する。
川は、山は形を変えることはないが、川は流れがいつも違う、そのときによって顔が違うし、水の流れる音もいつも変化している。だから川をジーと眺めていても飽きることがない。だから、ここにいたいと思うし、いることができる。

こんなことは日本にいるときは感じたことは無かったけれど、こんなことを考えるようになったということは何か普段考えないような考えをしているのかも知れない。こんなことを考えさせるたびが好きで、その時間が好き。


ひさびさに雨が降った。一瞬の強い雨だった。

まるで床に大豆をこぼしたような音がして、全ての豆がなくなって静まり返る。

こんな場所だからある雨。いつもの場所には起こらない出来事。

いつもの場所で起こるのに、こんな場所には起こらない出来事。

いつも一人で見ているものを二人でみて、いつも二人で見ているものを一人で見る。

いつもは悲しくならないのに、今日はちょっと悲しくなった。

いつもの場所のいつもの雨。


小泉首相の北朝鮮訪朝が実現した。9月17日早朝に政府専用機が飛び立ち、北朝鮮へと向かった。歴史的な大きな会談だったし、いろんな意味で日朝間の関係が前進にむかって進むきっかけになりそう。

ところで、朝鮮半島はなんで南北に分かれたの?日本と朝鮮半島南北分断とは関係があるの?ワールドカップ日韓共催や、小泉首相訪朝など最近朝鮮半島に関するニュースが多いけど、実はどうしてこうなったかあまり知らない。皆さん知ってます?もしかして知らないのは僕だけだったりして。

こういうことはネットで調べようと一念発起してみたが、なかなか情報が少ない。戦争中、朝鮮が日本の植民地だった間に日本が無条件降伏、ソ連が北朝鮮に進行し、アメリカは南部に上陸、アメリカの提案で朝鮮半島は分断されたらしい。
ざっとこのような内容らしいが、やはりピンとこない。朝鮮半島の人々は置き去りにされている気がするし、なんとなく日本の敗戦に巻き込まれたような感じもする。実際どうだったんだろう。

いま注目されているのは拉致問題、外務省の対応問題などだが、本質的に日本と朝鮮半島の問題について議論されていない気がする。韓国の人々の対日感情も年齢によってもいろいろあるだろうし、実は僕自身戦争中に日本がなにやったかよく知らないってのもある。
うわさによると北朝鮮にもビザを取ればいけるって話もあるし、韓国は結構近い国。可能であれば見てみたい気もする。実際にみて身近に感じれば歴史の詳しいことを知らなくても、得られるものはあるんじゃなかな。


2001.9.11同時多発テロが起きた。
そのとき私は、テレビでそのことを知った。そのときの感情は今でも鮮明に覚えている。いったい世界はどうなるのだ、ほんとに崩壊してしまうのではないか?そんな思いで眠れなかった。
ニューヨークは幼いころから、アメリカ横断ウルトラクイズを一生懸命見ていて行ってみたいと思っていた場所であった。以前カリフォルニアに住んでいたときに、ニューヨークを訪れ、自由の女神、ブロードウェイ、エンパイアーステートビル、ウォールストリート、ニューヨーク定番の観光地をまわった。
もちろんワールドトレードセンターも、水辺にそびえる2棟のビルが天に届かんばかりにそびえ、ニューヨークの象徴として貫禄のある姿がそこにあった。
その姿を見て、ニューヨークに来たんだ。これが憧れのニューヨークだ。と感激したのを覚えている。
しかし、そのWTCもそこにはない。あの高くそびえる姿をもう見ることはできない。

アメリカは、このテロをきっかけにアフガニスタンへの戦闘を開始した。戦争が目の前で始まろうとしていることにショックを受けた。
テロによる犠牲者、遺族の心情を考えると、そのつらさは言葉では言い表せないが、そのために戦争がおこることに対し、まったく同意できない。ふたたび多くの犠牲者がでて、新しい遺族が生み出されている。
国と国との戦争で、それぞれの国民が傷を追い、家族をなくしている。国は国民がいるから国をなしていて、国を維持している、その国が国民を傷つける。そんなことは、絶対にあってはならないと思う。

旅行者は多くの国境を越え、いろいろな国を歩く、でも国境は人間がひいたものでもともとあったものではない。なぜ国境があるのか、なぜ国境ができたのか、歴史上の多くのできごとから国という概念ができ、境目ができたのだろう。
昔より距離の感覚が短くなっていくいま、国という境目も変わっていくべきなのではと考える。いつかビザなんか取って旅行していたことが、昔のことだったねといえる世界がくることを願っている。


みなさんは、AIR DO(エア ドゥ)ってしってますか?
正式名称は「北海道国際航空株式会社」といいまして、北海道を基盤にした航空会社として1999年に就航したわけです。最初は通常片道25000円ぐらいの羽田-千歳運賃を16800円のワンプライスで運行すると話題になり、僕も予約開始時にその年の年末年始の帰省のために電話をかけまくりました。当時閑散期は安いチケットもありましたが、年末年始などの繁忙期は25000円近くの運賃になり、ただでさえ物入りの時期、彼女でもいようものならクリスマスプレゼントを2回買うようなものでしたから、かえる気もうせるってもんでした。そんななかの繁忙期でも16800円ですから、すごいと思ったものでした。
そのAIR DOが同時多発テロなどの影響もあり経営破たんをしたのが、今年の6月。従来通り運行しているというので今回利用してみました。

一番の大きな違いは、座席指定でした。以前は飛行機の絵が書いた紙で、座席番号がシールになっていて、そのシールを搭乗券に張って座席指定をしていたようです。飛行機の絵でシールがなければすでに座席が取られているということです。
今回は完全にコンピュータから印刷して発券されていました。全日空と提携したからなったわけではないでしょうから、システム導入したのでしょう。
そして、価格です。今回はなんと羽田-千歳が片道9000円です。0がひとつ足りないわけではありません。21日前に予約すると、9000だそうです。これも大手の割引に対抗したものでしょうが、だいじょぶ??と思いたくなるような値段です。

このように立派な航空会社になっていくには、お金もかかるでしょうし、時間もかかるでしょう。大変な価格競争、テロなんかの影響もあるでしょう。
経営破たんしたのには、多くの理由があったはずです。その結果全日空との業務提携という方法になったようです。しかし、忘れないようにしてほしいです、北海道と本州をつなぐ大事な翼として始り、北海道をより近づけるための翼となることを。大手の航空会社と同じにならないでほしいそう思います。

当ホームページは、北海道、AIR DOを応援します。
北海道へ行くときにはぜひAIR DOを利用しましょう。

試される大地 北海道
http://www.pref.hokkaido.jp/menu.html

AIR DO http://www.airdo21.com (座席の予約もできます)

ところで「ドゥ」ってローマ字でどう打つの???


小泉首相の北朝鮮訪朝が実現した。9月17日早朝に政府専用機が飛び立ち、北朝鮮へと向かった。歴史的な大きな会談だったし、いろんな意味で日朝間の関係が前進にむかって進むきっかけになりそう。

ところで、朝鮮半島はなんで南北に分かれたの?日本と朝鮮半島南北分断とは関係があるの?ワールドカップ日韓共催や、小泉首相訪朝など最近朝鮮半島に関するニュースが多いけど、実はどうしてこうなったかあまり知らない。皆さん知ってます?もしかして知らないのは僕だけだったりして。

こういうことはネットで調べようと一念発起してみたが、なかなか情報が少ない。戦争中、朝鮮が日本の植民地だった間に日本が無条件降伏、ソ連が北朝鮮に進行し、アメリカは南部に上陸、アメリカの提案で朝鮮半島は分断されたらしい。
ざっとこのような内容らしいが、やはりピンとこない。朝鮮半島の人々は置き去りにされている気がするし、なんとなく日本の敗戦に巻き込まれたような感じもする。実際どうだったんだろう。

いま注目されているのは拉致問題、外務省の対応問題などだが、本質的に日本と朝鮮半島の問題について議論されていない気がする。韓国の人々の対日感情も年齢によってもいろいろあるだろうし、実は僕自身戦争中に日本がなにやったかよく知らないってのもある。
うわさによると北朝鮮にもビザを取ればいけるって話もあるし、韓国は結構近い国。可能であれば見てみたい気もする。実際にみて身近に感じれば歴史の詳しいことを知らなくても、得られるものはあるんじゃなかな。


2001.9.11同時多発テロが起きた。
そのとき私は、テレビでそのことを知った。そのときの感情は今でも鮮明に覚えている。いったい世界はどうなるのだ、ほんとに崩壊してしまうのではないか?そんな思いで眠れなかった。
ニューヨークは幼いころから、アメリカ横断ウルトラクイズを一生懸命見ていて行ってみたいと思っていた場所であった。以前カリフォルニアに住んでいたときに、ニューヨークを訪れ、自由の女神、ブロードウェイ、エンパイアーステートビル、ウォールストリート、ニューヨーク定番の観光地をまわった。
もちろんワールドトレードセンターも、水辺にそびえる2棟のビルが天に届かんばかりにそびえ、ニューヨークの象徴として貫禄のある姿がそこにあった。
その姿を見て、ニューヨークに来たんだ。これが憧れのニューヨークだ。と感激したのを覚えている。
しかし、そのWTCもそこにはない。あの高くそびえる姿をもう見ることはできない。

アメリカは、このテロをきっかけにアフガニスタンへの戦闘を開始した。戦争が目の前で始まろうとしていることにショックを受けた。
テロによる犠牲者、遺族の心情を考えると、そのつらさは言葉では言い表せないが、そのために戦争がおこることに対し、まったく同意できない。ふたたび多くの犠牲者がでて、新しい遺族が生み出されている。
国と国との戦争で、それぞれの国民が傷を追い、家族をなくしている。国は国民がいるから国をなしていて、国を維持している、その国が国民を傷つける。そんなことは、絶対にあってはならないと思う。

旅行者は多くの国境を越え、いろいろな国を歩く、でも国境は人間がひいたものでもともとあったものではない。なぜ国境があるのか、なぜ国境ができたのか、歴史上の多くのできごとから国という概念ができ、境目ができたのだろう。
昔より距離の感覚が短くなっていくいま、国という境目も変わっていくべきなのではと考える。いつかビザなんか取って旅行していたことが、昔のことだったねといえる世界がくることを願っている。